酒ディスカウント・ストアの成功と凋落

 今日は酒ディスカウント・ストアの繁栄と凋落について考えてみたい。現在も至るところに酒ディスカウント・ストアが存在するが、成功している店は非常に少なくなった。個店ごとに日本酒に力を入れたり、ワインの品揃えを豊富にしたりと特色を出すべく奮闘しているが、消費環境の厳しさもあり、一時の勢いはすっかり消えてしまった感がある。

 

 酒ディスカウント・ストアの勢いがあったのは80年代~90年代であろう。当時、酒の流通は、いわゆる「町の酒屋」が酒類販売免許の規制により、独占状態にあった。御用聞きスタイルで注文を取り、重たい酒類を家庭まで配達していたのだ。私が子供の頃、70年代はビールは缶ではなくビンが主流であり、主婦が運ぶには大変重たい商品であった。価格も定価販売であり、今のような値引き競争はなかったといって良いであろう。酒屋もメーカーの流通政策により、アサヒ系、キリン系など、関係の深いメーカーの製品を多く売る努力をしていたようだ。町の酒屋は家族による零細事業者がほとんどであり、昭和57年において酒小売店109,621店のうち、個人形態の事業所が90,353店である。その後、酒小売店は平成19年時点で、47,696店に半減し、個人形態の事業所は33,614店と1/3に激減している。

 

 現在の状況をつくり、当時の業界慣習を破ったのが酒ディスカウント・ストアである。業態の特徴は、ロードサイドに立地し、低価格で集客し、ケース単位による大量販売を実現するものである。低価格を実現するための工夫は以下の三つである。


①仕入原価の低減化
 ケース売りの大量販売により、仕入原価を下げる。当時は原価自体を下げるよりも、大量販売によるリベートの取得を原資としていた可能性がある。
②セルフサービス、持ち帰りによる人件費の低減
 セルフサービス、配達しないことによる人件費の削減である。低価格のため、当時は客自身もそれを理解したため、積極的に受け容れた。いわゆるモータリゼーション(自動車の大衆化)により、持ち帰ることができる時代が到来したのである。
③ロードサイド出店による安い出店コスト
 ロードサイドによる悪い立地のため(当時は)、安い家賃、広い敷地の入手のしやすさに加えて、標準化による店舗投資の低減化が可能となった。

 

 要は、標準的な酒類小売店と比べて、大きく損益構造を変えることによって、低価格でも収益を出せる仕組みが酒ディスカウント・ストアであり、それが時代に受け容れられ、大きな成功を収めたと言える。仕入原価、人件費、家賃、店舗設備等に対するコストを大きく低下させることで、販売価格を下げる。そしてその低価格で広い商圏(メインは自動車客である)から集客を行い、大量販売を実現して、利益を出すのである。コストの低減化 → 販売価格のダウン → 集客力の向上 → 大量販売による利益の確保 である。

 

 しかしながら、これは容易にマネのできる仕組みであったため、多くの新規参入があったほか、規制緩和による酒類販売免許の取得の容易化により、GMS、スーパー、ドラッグストア、ホームセンターにおいて同様に酒類を低価格で販売したため酒ディスカウント・ストアの優位性は消失している。他業態においては、はじめから集客手段と売上のかさ上げを狙った品揃えのため、利益度外視で集客し、他の利益率の高い商品を同時購買してもらうことによるメリットを狙った。例えば、スーパーには生鮮食品があり、ドラッグストアには医薬品があり、ホームセンターには園芸用品がある。

 

 現在、酒ディスカウント・ストアにおいては、冷凍食品やワイン、食器などの品揃えにより既存の業態からの脱却を図っているが、もともと利益の取れる柱となる商品がなく、ビールから発泡酒、発泡酒から第3のビールへと単価が下がっている中で他業態との競争に勝てるのは一握りの店舗になると推測する。

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